インターネットは、私たちのコミュニケーションのあり方を根底から変えました。時間や場所を選ばずに情報を交換し、多様な人々と繋がれるようになったことは、計り知れない恩恵をもたらしています。しかし、その一方で、インターネット空間、特にソーシャルメディアや匿名掲示板などでは、他者を意図的に傷つけ、不快にさせるような発言が後を絶ちません。誹謗中傷、罵詈雑言、ヘイトスピーチといった攻撃的な言説は、時に深刻な精神的苦痛を与え、社会的な分断を助長する要因ともなっています。
なぜ、人は顔の見えない相手に対して、これほどまでに攻撃的になれるのでしょうか? 匿名性という盾の裏で、どのような心理が働いているのでしょうか? 本記事では、この問いに対して、社会心理学における「コントロール欲求」という概念を軸に考察を深めていきます。コントロール欲求とは、人間が持つ基本的な欲求の一つであり、自己の環境や他者を自分の思い通りにしたい、影響を与えたいという動機を指します。この欲求が、インターネットという特殊な環境下で、どのように歪んだ形で発露し、攻撃的な発言に繋がるのかを、多様な視点から分析します。
さらに、単に現象を分析するだけでなく、この問題の背景にある現代社会の病理にも目を向け、その解決に向けた糸口を探ることを目指します。インターネット上の攻撃性は、単なる個人の性格の問題ではなく、社会構造や心理的な要因が複雑に絡み合った結果として現れている可能性が高いからです。本稿を通じて、より健全で建設的なオンライン・コミュニケーションのあり方を模索するための一助となれば幸いです。
コントロール欲求とは何か?
社会心理学におけるコントロール欲求の定義
コントロール欲求(Need for Control)とは、自分の周囲の出来事や環境、そして他者の行動に対して、影響を与えたい、自分の思い通りに動かしたい、あるいは少なくとも予測可能な状態にしたいという、人間が普遍的に持つ根源的な動機の一つです。心理学者のスーザン・フィスケは、人間が持つ基本的な社会的動機の一つとして「コントロール」を挙げており、これが満たされることで、人は安心感や有能感を得ることができます。
この欲求は、アルバート・バンデューラが提唱した「自己効力感(Self-efficacy)」とも密接に関連しています。自己効力感とは、ある状況において自分が適切な行動を遂行できるという確信や自信のことです。コントロール欲求が満たされ、自分の行動が望ましい結果をもたらすと実感できるとき、自己効力感は高まります。逆に、状況をコントロールできないと感じると、無力感やストレスを感じやすくなります。

コントロール欲求が満たされないとき
人間は、自分の力ではどうにもならない状況に直面したり、他者から一方的に影響を受けたりすると、コントロールを失った感覚(喪失感)を抱きます。例えば、経済的な困窮、失業、病気、人間関係の破綻、あるいは大規模な災害や社会的な変動などは、個人のコントロール感を著しく脅かす出来事です。
このようなコントロール喪失感は、強いストレスや不安、抑うつ感、無力感を引き起こす可能性があります。そして、この不快な状態から逃れようとして、人は失われたコントロール感を回復しようと試みます。その回復の試みが、時として不健全な形で現れることがあります。つまり、直接的な原因とは関係のない場面で、他者を支配したり、攻撃したりすることで、代償的にコントロール感覚を得ようとするのです。

コントロール欲求の現れ方:健全な形と不健全な形
コントロール欲求そのものは、決して悪いものではありません。むしろ、目標達成への意欲、スキルの習得、問題解決能力、リーダーシップの発揮など、人間の成長や社会の発展に不可欠な原動力となります。自分の人生を主体的に切り開こうとする意志や、より良い社会を作ろうとする努力は、健全なコントロール欲求の現れと言えるでしょう。
しかし、その現れ方が歪んでしまうと、他者への支配、強制、威圧、マニピュレーション(心理操作)、そして攻撃といった不健全な行動につながります。特に、現実世界でコントロール感を満たすことが難しい状況にある人が、より容易に他者へ影響力を行使できる(かのように感じられる)インターネット空間において、不健全な形でコントロール欲求を発露させるケースが問題となっています。
ネット上の攻撃的発言とコントロール欲求

なぜネットでコントロール欲求が歪んだ形で現れるのか?
インターネット、特に匿名性の高いプラットフォームは、コントロール欲求が歪んだ形で噴出しやすい環境を提供しています。その主な要因として、以下の点が挙げられます。
匿名性と非対面性:責任感の希薄化と攻撃性の解放
インターネット上では、多くの場合、実名を明かさずに発言することが可能です。また、相手と直接顔を合わせることがないため、表情や声色といった非言語的な情報が欠落します。この匿名性と非対面性は、自分の発言に対する責任感を希薄化させ、社会的な規範意識や他者への共感性を低下させる傾向があります。現実世界では社会的制裁や相手の反応を恐れて抑制されるような攻撃的な衝動が、ネット上では容易に解放されてしまうのです。相手の苦痛や悲しみを直接目の当たりにしないため、攻撃がエスカレートしやすいという側面もあります。あたかも、自分の言葉が誰にも咎められずに相手を「操作」できるかのような錯覚に陥り、コントロール欲求を満たすための手段として攻撃が選択されやすくなります。
情報過多と単純化:複雑な現実へのフラストレーション
現代社会は情報に溢れており、世の中の出来事も複雑化しています。そのすべてを理解し、適切に対応することは困難であり、人々はしばしば無力感やフラストレーションを感じます。このような状況下で、一部の人々は、複雑な問題を過度に単純化し、分かりやすい「敵」を設定して攻撃することで、あたかも自分が状況を理解し、コントロールしているかのような感覚を得ようとします。例えば、社会的な問題の原因を特定の属性を持つ集団に押し付けたり、陰謀論に傾倒したりする行動は、この心理の現れと見ることができます。ネット上では、同じような考えを持つ人々が集まりやすく、相互に意見を強化し合うエコーチェンバー現象も、こうした単純化や敵意の増幅に拍車をかけます。
社会経済的な要因:現実世界でのコントロール喪失感
経済格差の拡大、雇用の不安定化、将来への不安といった社会経済的な要因も、ネット上の攻撃性と無関係ではありません。現実世界において、自分の努力では状況を改善できない、社会から疎外されているといったコントロール喪失感を強く感じている人々が、その不満や怒りの矛先を、より弱い立場にある人々や、成功しているように見える人々(芸能人、インフルエンサーなど)に向けることがあります。ネット空間は、そうした人々にとって、現実世界では得られない影響力や支配感を、たとえ一時的であっても手軽に得られる(かのように感じられる)場所となり得るのです。特定の属性(性別、人種、国籍、職業など)に対するヘイトスピーチなども、この文脈で理解できる場合があります。

攻撃的発言に見るコントロール欲求の具体的な現れ方
インターネット上で見られる様々なタイプの攻撃的発言は、コントロール欲求の歪んだ発露として解釈することができます。
誹謗中傷・罵詈雑言:相手の人格否定による支配感
個人に対する根拠のない悪口や、人格を否定するような汚い言葉(罵詈雑言)を浴びせる行為は、最も直接的な攻撃形態の一つです。これは、相手を精神的に打ちのめし、貶めることによって、相対的に自分の優位性を感じ、相手を支配しているかのような感覚を得ようとする行動と考えられます。特に、社会的影響力を持つ芸能人やインフルエンサーなどがターゲットにされやすいのは、彼らを引きずり下ろすことで、より大きなコントロール感や達成感を得られると感じるからかもしれません。執拗な攻撃は、ターゲットの精神を疲弊させ、時には活動休止や引退に追い込むこともあり、加害者にとってはそれが「コントロールが成功した」という歪んだ達成感につながる危険性があります。
マウンティング・知識ひけらかし:優位性誇示によるコントロール
議論の場で、相手の発言の些細な誤りを指摘したり、専門知識をひけらかして相手を論破しようとしたりする行為(マウンティング)も、コントロール欲求の現れと見ることができます。議論の内容そのものよりも、相手より優位に立ち、その場を支配することに主眼が置かれています。相手を「無知」「論理的でない」などとレッテル貼りし、人格攻撃にまで発展することも少なくありません。このような行動は、知的な優位性を示すことで、他者をコントロールし、自己の有能感を確認しようとする試みと言えます。
正義中毒・キャンセルカルチャー:規範意識を盾にしたコントロール
社会的な規範や倫理観、あるいは特定の「正しさ」を振りかざし、それに反すると見なした個人や団体を過剰に非難・糾弾する行為も、コントロール欲求と結びつけて考えることができます。「正義」の側に立つことで、自分は間違いを犯さない全能的な存在であるかのように感じ、他者を断罪し、社会から排除しようとすることで、社会規範そのものをコントロールしているかのような感覚を得ようとします。いわゆる「キャンセルカルチャー」の行き過ぎた側面には、このような心理が働いている可能性があります。もちろん、社会的な不正を告発すること自体は重要ですが、それが私的な制裁や集団的な攻撃にエスカレートする場合、コントロール欲求の歪んだ発露である可能性を疑う必要があります。
デマ・扇動:他者の思考や行動のコントロール
意図的に虚偽の情報(デマ)を流したり、人々の不安や怒りを煽るような扇動的な発言を繰り返したりする行為は、他者の思考や感情、ひいては行動をコントロールしようとする明確な意図の現れです。災害時に不安を煽る偽情報を拡散する、特定の政治的主張のためにプロパガンダを流布するなど、その目的は様々ですが、根底には情報操作によって社会的な影響力を行使し、状況を自分の望む方向に動かしたいというコントロール欲求が存在します。これにより、社会に混乱を引き起こし、人々を分断させることで、加害者自身の存在感や影響力を誇示しようとすることもあります。
多様な視点からの考察:コントロール欲求以外の要因
インターネット上の攻撃的な発言は、コントロール欲求だけで説明できるほど単純な現象ではありません。他の心理的な要因も複雑に絡み合っています。

承認欲求との関連
他人から認められたい、注目されたいという承認欲求も、攻撃的な発言の動機となり得ます。過激な発言や他人を貶めるような投稿は、時に多くの「いいね」やリツイート、コメントを集めることがあります。たとえそれが否定的な注目(炎上)であったとしても、全く無視されるよりはマシだと感じ、承認欲求を満たすために攻撃的な言動を繰り返す人がいます。これは、一種の炎上マーケティングのような側面も持っています。
所属欲求と集団心理
人間は、どこかの集団に所属し、仲間と認められたいという所属欲求を持っています。特定のオンラインコミュニティやグループ内で、過激な意見や攻撃的な態度が称賛されるような文化がある場合、その集団への所属意識を高め、仲間外れにされることを避けるために、同調して攻撃的な発言をしてしまうことがあります(同調圧力)。また、自分たちが所属する集団(内集団)を肯定的に評価し、それ以外の集団(外集団)を否定的に見なす内集団バイアスも、特定の属性を持つ人々への攻撃を正当化する心理的基盤となることがあります。
心理的投影
心理的投影とは、自分自身が受け入れたくない感情や欠点、コンプレックスなどを、無意識のうちに他者に押し付けてしまう心の働きです。例えば、自分自身の攻撃性や劣等感を認められない人が、それを他者の性質であるかのように見なし、その「欠点」を激しく非難することがあります。ネット上の執拗な攻撃の中には、加害者自身の内面的な葛藤が投影されているケースも少なくありません。
共感性の欠如
他者の感情や痛みを理解し、それに寄り添う能力(共感性)が著しく欠如している場合、悪意なく、あるいは意図的に他者を傷つける発言をしてしまうことがあります。特に、サイコパシー(反社会性パーソナリティ障害)やナルシシズム(自己愛性パーソナリティ障害)といった傾向を持つ人々は、共感性が低いことが指摘されており、他者を利用したり、傷つけたりすることに罪悪感を感じにくい場合があります。
現代社会病理への処方箋:解決への糸口
インターネット上の攻撃性という問題に対処するためには、個人、社会、プラットフォームがそれぞれのレベルで取り組みを進める必要があります。また、この問題の根底にある、現実社会におけるコントロール喪失感といった課題にも目を向けることが不可欠です。
個人のレベルでできること
自己認識の向上:自分の感情や欲求(特にコントロール欲求)を理解する
まず、自分自身の感情の動きや、その背景にある欲求(特に、どのような時にコントロール欲求が刺激され、それがどのように表出するのか)を客観的に認識することが重要です。カッとなったときに攻撃的な書き込みをしそうになったら、一呼吸置いて、「なぜ自分はこんなに腹を立てているのか?」「この発言で何を得ようとしているのか?」と自問自答する習慣をつけることが有効です。アンガーマネジメントの技法を学んだり、ストレスコーピングの方法を身につけたりすることも役立ちます。
情報リテラシーの向上:批判的思考とファクトチェック
感情的な反応に流されず、目にした情報が事実に基づいているのか、発信者の意図は何かを批判的に吟味する能力(情報リテラシー)を高めることが求められます。特に、怒りや不安を煽るような情報に接した際には、すぐに拡散したり、コメントしたりするのではなく、信頼できる情報源でファクトチェックを行う習慣が重要です。
共感力の育成:多様な価値観への理解と想像力
自分とは異なる背景や価値観を持つ人々の意見にも耳を傾け、相手の立場や感情を想像する力を養うことが大切です。オンライン、オフラインを問わず、多様な人々との対話を通じて、相互理解を深める努力が求められます。
社会・プラットフォームレベルでできること
教育の役割:デジタルシチズンシップ教育の推進
学校教育や社会教育において、インターネットを責任ある市民として賢く利用するためのスキルや倫理観(デジタルシチズンシップ)を育む教育を推進する必要があります。情報リテラシー、ネット上の人権意識、建設的なコミュニケーション能力などを、早い段階から体系的に学ぶ機会を提供することが重要です。
プラットフォームの責任:健全な言論空間の維持
ソーシャルメディアなどのプラットフォーム事業者は、利用規約を明確化し、誹謗中傷やヘイトスピーチなどの悪質な投稿を迅速かつ適切に監視・削除する体制を強化する責任があります。また、過激なコンテンツやフェイクニュースが拡散されやすいアルゴリズムを見直し、より建設的な対話や多様な意見が尊重されるような仕組みを導入することも求められます。
法整備と倫理規定:悪質な攻撃への抑止力
悪質な誹謗中傷やプライバシー侵害に対しては、法的な抑止力を強化することも必要です。発信者情報開示請求の手続きをより円滑化したり、侮辱罪の厳罰化を進めたりするなど、被害者救済と加害者への抑止効果を高めるための法整備や、社会全体での倫理規定の確立が議論されています。
根本的な解決に向けて:現実社会におけるコントロール感の回復
インターネット上の攻撃性の多くが、現実世界でのコントロール喪失感の代償行為である可能性を考慮すると、根本的な解決のためには、人々が現実社会においてより多くのコントロール感や自己効力感を持てるような環境を整備することが不可欠です。
格差是正、雇用の安定、セーフティネットの強化
経済的な格差を是正し、安定した雇用を確保し、失業や病気などの際に人々を支えるセーフティネットを強化することは、社会全体の不安感を軽減し、人々が将来に対して希望を持てるようにするために重要です。
地域コミュニティの再生、リアルな人間関係の重要性
孤立感を解消し、人々が支え合い、自分の居場所や役割を見出せるような地域コミュニティの再生や、オンラインだけでなく、対面でのリアルな人間関係の構築を支援することも、人々の精神的な安定やコントロール感の回復に繋がります。
心理的サポート体制の充実
ストレスや不安、孤立感などを抱える人々が、気軽に専門家のサポートを受けられるような心理カウンセリングやメンタルヘルスケアの体制を充実させることも重要です。
まとめ:より良いインターネット社会を目指して
インターネット上の攻撃的な発言は、単なる個人の性格や資質の問題ではなく、社会心理学的な欲求、特に「コントロール欲求」の歪んだ発露という側面を持つ、根深く複雑な問題です。匿名性、情報過多、現実社会でのフラストレーションといった要因が絡み合い、誹謗中傷、マウンティング、デマの拡散といった形で現れます。また、承認欲求や集団心理、共感性の欠如なども、この問題をさらに複雑にしています。
この現代社会の病理とも言える問題に対処するためには、一朝一夕に解決策が見つかるわけではありません。しかし、個人レベルでの自己認識や情報リテラシーの向上、社会やプラットフォームレベルでの教育や規制の強化、そして何よりも、人々が現実社会において安心感やコントロール感を取り戻せるような、格差是正やセーフティネットの強化、コミュニティの再生といった根本的な取り組みが必要です。
私たち一人ひとりが、オンラインでの自らの言動に責任を持ち、他者への想像力を働かせると同時に、社会全体として、より公正で、人々が繋がり、支え合える環境を構築していくこと。それこそが、インターネットを真に豊かで建設的なコミュニケーションの場とするための道筋となるでしょう。より良いインターネット社会、そしてより良い現実社会の実現に向けて、多角的な視点からの継続的な努力が求められています。

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